ヨーロッパ紀行Ⅰ(はじめに)

二月の初めから、約二週間、ロンドン、パリ、ベルリンの三都市に滞在していた。

題に「紀行」とあるが、ただの平凡な旅行である。

 

ところで、「紀行」とは一体何なのだろうか。

「紀行」を書く欲望(あるとしたら)とは一体何なのだろうか。

 

とりあえず、ざっと線を引く。

書き手が社会的知名度が高い場合、多くの場合、

ただの旅行に過ぎないが「紀行」と記されている(あるいはそれに準ずる言葉によって)場合が多い気がする。

例えば、漱石紀行文集、芥川龍之介紀行文集など…

 

また、どうやら文学のジャンルの一派系として、

「紀行」なるものが確立されているらしい。

そんなことは、どうでもよいのだが、Wikipedia

「日本の紀行作家」というページがあったので、目を通してみた。

阿川弘之北杜夫椎名誠…(この任意のピックアップに、自分の「古さ」を感じるが)

 

かつて、文学に深掘りしていた人間だが、「紀行」の類は読まなかった。

なぜなら、文学として不純だからである。

そして、およそ「紀行」に書かれている(推量に過ぎない)、

その土地の景色、人、食べ物(古い文学観の持ち主として、あまりにもくだらないと思う)を描写することは、文字という媒体上、相性が悪いと思うからである。

そんなものは、写真あるいは映像によって、一発である。

たぶん、そういうことではないのだと自分でも思うのだが、

「紀行」はおよそくだらない。

 

では、どうして自分は「紀行」を書こうとしているのだろう。

これといった理由は、特にないような気がする。

おそらく、「紀行作家」もそうなのだろう。

それが、仕事であろうがなかろうが…

 

ここは、『徒然草』の作者に倣ってこう答えようか。

”つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、

心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく

書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ”。

 

これから書こうとしているが、

まさに「あやしうこそものぐるほしけれ」になりそうである。

いや、すでにそうなっているか。

しかし、そんなことは、どうでもよいのだ。

 

 

とりあえず、出発する前の自分を簡潔に述べる。

 

自分は、母の自殺によって、大きな衝撃を受けた。

しかし、それは今となっては致命傷ではなかった。

致命傷が、癒されない傷としてなら…

 

それは傷だった。

ただの傷であった。

たとえ、それは大きく深くても、致命傷にまで至らなかった、傷。

傷が傷である限り、それは必ず傷跡になる。

完全な傷跡となるまでには、時間がかかりそうではある。

だが、それは確かに傷であった。

 

そして、生きることは無数の傷跡を身体に刻み込むことだと知った。

また、母の死と自分の生は断絶していることを知った。

当たり前のことを、今更知った。

 

しかし、絶望は深かった。

繰り返し、自殺を考えた。

しかし、家族の顔を見ると、それはいけないことだと感じる自分がいた。

それはいけない。

一体何(あるいは誰)が、自分に命じているのだろう?

もしかしたら、母かもしれない。

おそらく、解答はいくつか考えられるだろう。

しかし、解答には興味がないし、結局のところ、それは暫定的なものに過ぎない。

 

旅行から帰っても、自殺を考えていた(もちろん旅行中も)。

しかし、今現在は自殺を考えることをやめた。

自殺しないと決めたわけではない。

あくまで、「考える」のをやめた。

なぜなら、端的に言って不毛だからである。

その時間があれば、確実に自殺を実行することができる。

だが、実行していない(できていない)。

 

直観を使って述べる。

ということは、せいぜい考えているようでは、自殺などできない。

おそらく、完全な絶望によって、

思考力と生命力が屈服された時、人は自殺するのだろう。

 

しかし、完全な絶望なんて、あるのだろうか?

サルトルの『出口なし』という作品がある。

内容は知らない(陰気な内容であることは、タイトルから察せられる)。

絶望が「出口なし」の謂いであるなら、

絶望を解消できるのは現実の出口以外ないし、

出口を探究しようとする意志以外にはない。

しかし、完全な絶望なるものがあるとするなら、

それをいくら言っても、完全に絶望している人には届かないかもしれない…

 

話を戻す(旅行前の自分を述べるはずであったが、

旅行後のことまで言及してしまった=

「あやしうこそものぐるほしけれ」)。

とはいえ、絶望と自殺はこの「ヨーロッパ紀行」における

重要なキーワードかもしれないし、

すでに充分旅行前の自分を述べたような気がする。

 

最後に、ロンドン、パリ、ベルリンの三都市へ行こうとしたか、

その理由と三都市に選んだ訳をそれぞれ述べる。

まず前者は、父の勧めである。

詳しく述べると、12月の初旬、母の四十九日で、

母方の祖父母の家に向かう道中、

父が手元にユーロ紙幣が日本円にして約30万あり、

しばらくユーロ圏に行くことはないだろうから、

旅行するなら譲ると口をこぼしたのが決定的な理由である。

後者は、自分のミーハー精神が爆発したため、

ヨーロッパ主要国の首都に行くという決断をした。

 

次回からは、ちゃんと「紀行」を書くつもりではいる。