ヨーロッパ紀行Ⅱ(亡霊とともに…)

ある橋


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自分は二月一日に、成田空港に向かった。

今は名古屋市に住んでいるため、新幹線で東京に向かった。

久しぶりに、新幹線に乗った。

 

窓から見える風景が通過する。

ちらちらと見るばかりで、

自分は久しぶりの新幹線の空間がぎこちなく何度も足を組み替えてしまう。

人が通り過ぎるたびに、後ろ姿をじっと見てしまう。

 

タバコを吸いに喫煙ルームに行くと五、六人が並んでいた。

どうやら喫煙ルームは三人しか入れないルールになっていて、列をなしていた。

物理的にも三人しか入れないような狭い空間に、喫煙者が順に入っていく。

 

次第に風景に、灰色が増え始める。

品川駅で、スーツを着たたくさんの人が降りた。

 

東京駅。

成田スカイライナーに向かう。

初めて乗る電車であることに今更気づいた。

ホームへの誘導看板をしっかり確認しながら、向かう。

かなり大きいスーツケースが、

自分がどこかへ行く者の象徴になっていることを感じながら。

 

自分は常にイヤホンをしているが、その時何を聴いていたのだろう。

よく覚えていない。

 

どんよりと暗い曇り雲が、心を覆っていた。

昔からそうで、その時もそうだった。

旅行への楽しみや期待は皆無だった。

 

行ったところで、それが一体何になるのか!という気持ちだったが、

従順に成田スカイライナーに乗った。

車内は、スーツケースを横に携えた人がちらほら数人いるだけだった。

窓側に不遜な態度な座り方をして、横にスーツケースを置いた。

 

雲はあったが、晴れだったと思う。

汚れた窓が外を暗い曇りにさせた。

それは自分の心の雰囲気にぴったりだったから、

カメラを取り出して流れる風景を撮った。

アパート、マンション、家が密集している東京らしい光景を懐かしくも苦々しく思いながら。

 

電車の中で、風景を見ていると芥川龍之介の『蜜柑』をよく思い出す。

『蜜柑』のあらすじをWikipedeiaから引用する。

 

”「不可解な、下等な、退屈な」人生に、

「云いようのない疲労と倦怠」を感じている「私」は、

横須賀駅で汽車が発車するのをぼんやりと待っていた。

そこへ発車寸前になって、醜い田舎者の娘が飛び込んでくる。

「私」はこの娘が不可解で下等で退屈な世の中を、

象徴しているように感じ、快く思わなかったが、

汽車の走っている途中でこの娘から見送りの子供たちに向かって、

窓から色鮮やかな蜜柑を投げるのを見て「私」は

不可解な人生に対する疲労と倦怠を僅かに忘れることができるようになる。”

 

そういう一瞬が時々ある。

しかし、『蜜柑』では結局「私」の

「不可解な神に対する疲労と倦怠」は消えることはない。

「僅かに忘れることができ」たばかりだ。

 

自分は、「私」がその一瞬に心を動かされたことに、

救われるというか何か倫理的なものを感じる。

世界には無数の一瞬の煌めきが存在する(している)ことは自明である。

それらに、心が反応するか/しないか。

 

心が動かされること。

それは、常に自発や意志ではなく受動である。

 

思うに、今回の旅はほとんど受動そのものだった。

そもそも父が提案したし、大量のユーロの存在がなかったら、

思いもつかなかっただろう。

でも、心のどこかでは、ここではないどこかに行きたいとは思っていた。

 

ここではないどこか。

Diane Arbusが”My favorite thing is to go where I’ve never been”と言っていた。

自分もArbusのように、自分が行ったことのないところへ行きたい。

そして、Arbusのようにこう言いたい。

“I want to come to your house and have you talk to me and tell me the story of your life”.

もし実現したら、それはとても素敵なことに違いない。

 

自分はカメラを窓に向け、シャッターを何度も切った。

無意識でISOや絞りを調整したと思うが、

後から見ると暗くて重いそして荒い写真ばかりだった。

 

途中、大きな橋が見えた。

たぶん、荒川を跨ぐ橋だろう。

東京に住んでいた時、群馬の祖父母の家に向かう際、

その橋を車で通ったことを思い出した。

なぜか自分はその橋を走っている間、周囲が淡く霞んでよく見えなかった。

遠くからその橋を見ている際も、その橋は淡く霞んで朧げだった。

ほとんど白に近い青と、紫とピンクの中間色の限りなく薄くて…

 

窓から、知らない街が見える。

たくさんの人が歩いていたり、買い物をしたり、何かをしている。

ここからは聞こえないが、色んな音がしているのだろう。

 

空港に到着した。

スーツケースを引きながらターミナル4に向かう。

自分は煙草が吸いたかったので、同ターミナルの喫煙所に一目散に入った。

二本ほど吸って出る。

 

フライトまで、しばらく時間があった。