ヨーロッパ紀行Ⅲ(Everything is Oooo)

空港は、灰色でつるつるして冷たい感じだ。

来たことは、あまりない。

二月の、昼間の平日だからなのか分からないが、人は多くはなかった。

 

オンラインチェックインが出来ない旨のメールが来ていたので、空港でチェックインした。

アラブ首長国連邦の航空会社。

少し調べてみると、国家ぐるみの大きな航空会社らしい。

サッとページを閉じた。

 

パスポートを確認し荷物を預ける。

インド系の男性。

綺麗な日本語を話す。

自分が、多少強張っているのを感じる。

 

再び喫煙室に入った。

夜の渋谷の駅前でたむろしている感じの、金髪の若い(たぶん20前後だろう)女の子がスマホを触りながらしゃがんでタバコを吸っていた。

あなたはどこに行くの?と声をかけたくなった。

 

喫煙室を出て、すぐ近くにある自動販売機の隅で、再びユーロの所持金を確認した。

大金だった。

それを現金で常に持っているのは不安だし、そもそもカードが主流のヨーロッパで使う機会は少ないのでは?と思い同じ階でここから近い換金所に向かった。

換金したい旨を伝えたところ、紙を渡され必要事項を書けと言われた。

紙に書くのが面倒くさかったのと、そういう官僚的態度が鼻についたので紙を丸めて捨てた。

 

スーツケースを預けて身が軽くなった解放感もあってか、やたらめったら歩き回った。

ソファーがあるエリアに、アジア系(おそらく中国人だろう)の男性数名が、身体全体を広げて寝入っていた。

白人の女性二名は、ベンチに仰向けになってスマホをいじっている。

中東系の男女二組は、大声で談笑している。

自分は、少し前のめりの奇妙な歩き方で、どしどし歩いている。

 

マクドナルド、スターバックスユニクロ、無印。

ドラッグストアもあった。

コーラと機内用のマスクを買う。

コーラを飲みながら、同じフロアのすでに歩いた通りを再び歩いた。

 

友達から無事に空港に着いたか?と連絡が来た。

また同じ喫煙所に入り(三回目)、連絡を返す。

金髪の女の子はいなかった。

 

朝から何も食べてなかったし、コーラとタバコだけでは流石に心許なかったので何か食べようと、フロアマップを見た。

一つ上の階に、ラーメン屋とうどん屋があった。

どちらかにしようとエスカレーターに乗る。

 

空港はどことなくショッピングモールに似ている。

外が表で、内が表という点で。

自分は地下から空港に入ったので外観を見てはいないのだが、空港において外観はそこまで意識されていないだろう。

ショッピングモールも、外観を意識しているとは思えない単一な直方体。

 

ラーメン屋が混んでいたので、うどん屋に入った。

中年の女性が、うどんを茹でお皿に盛る。

自分はそれを受け取る。

お金を払う。

冷たい関係。

 

窓側のカウンター席に座った。

外にはテラス席もあるようだ。

置き去りにされたお皿に、鳩たちが群がっていた。

 

喫煙所に向かう。

一服して、ぼうっと佇んているとふと自分の向かいが鏡張りになっていることに気づいた。

カメラを取り出して自分を撮ろうとした瞬間、どこかの飲食店員がちょうど向かいに座ったので、仕方なくカメラをしまう。

飲食店員は足を組みスマホを見ながら、タバコを吸っていた。

 

長身の痩せた坊主頭。

タバコを吸い終わっても、彼はしばらくスマホを手にして座っていた。

自分は撮る気力が失せたので、外の景色を見ていた。

 

若いカップルが笑顔で歩いている。

手を繋ぎながら。

視線を飛行機に移した。

 

坊主頭は、まだ自分の向かいに座っている。

ひとときの休憩時間なのだろう。

自分はどうすることもできない。

 

座ったままお互い自分は空間のどこかを、坊主頭はスマホを見つめながら、しばらく時間が経った。

彼の顔は、平べったく目が小さいので表情がよく読み取れない。

スマホで何を見ているのだろう?

友達か恋人とメールでもしているのか?

 

と、坊主頭についてあれこれ推量しているうちに彼は立ち上がり出ていった。

ここには、自分しかいない。

外には、まだカップルが笑い合っている。

 

タバコの匂いが強くなる。

時間が永遠に感じる。

この空間によって窒息しそうになる。

 

喫煙所を出た。

妙な倦怠感に襲われる。

そこで、カメラを取り出し何かをとりあえず撮ってみた。

撮る瞬間は、何故かふと胸が軽くなる。

 

フライトまで一時間前になったので、保安検査場、出国審査を済ませる。

コンビニで、水と飴を買った。

飛行機に乗る前に、ニコチン類を摂取したかったが喫煙所が遠かったので断念する。

 

搭乗ゲートの待合椅子で横になる。

歩きすぎて疲れた。

カメラを取り出して、窓からの風景を撮った。

とても絶望的な感情が写像されていた。

 

時間が来たので、飛行機に乗る。

ヨーロッパ紀行Ⅱ(亡霊とともに…)

ある橋


カレンダーを確認する。

自分は二月一日に、成田空港に向かった。

今は名古屋市に住んでいるため、新幹線で東京に向かった。

久しぶりに、新幹線に乗った。

 

窓から見える風景が通過する。

ちらちらと見るばかりで、

自分は久しぶりの新幹線の空間がぎこちなく何度も足を組み替えてしまう。

人が通り過ぎるたびに、後ろ姿をじっと見てしまう。

 

タバコを吸いに喫煙ルームに行くと五、六人が並んでいた。

どうやら喫煙ルームは三人しか入れないルールになっていて、列をなしていた。

物理的にも三人しか入れないような狭い空間に、喫煙者が順に入っていく。

 

次第に風景に、灰色が増え始める。

品川駅で、スーツを着たたくさんの人が降りた。

 

東京駅。

成田スカイライナーに向かう。

初めて乗る電車であることに今更気づいた。

ホームへの誘導看板をしっかり確認しながら、向かう。

かなり大きいスーツケースが、

自分がどこかへ行く者の象徴になっていることを感じながら。

 

自分は常にイヤホンをしているが、その時何を聴いていたのだろう。

よく覚えていない。

 

どんよりと暗い曇り雲が、心を覆っていた。

昔からそうで、その時もそうだった。

旅行への楽しみや期待は皆無だった。

 

行ったところで、それが一体何になるのか!という気持ちだったが、

従順に成田スカイライナーに乗った。

車内は、スーツケースを横に携えた人がちらほら数人いるだけだった。

窓側に不遜な態度な座り方をして、横にスーツケースを置いた。

 

雲はあったが、晴れだったと思う。

汚れた窓が外を暗い曇りにさせた。

それは自分の心の雰囲気にぴったりだったから、

カメラを取り出して流れる風景を撮った。

アパート、マンション、家が密集している東京らしい光景を懐かしくも苦々しく思いながら。

 

電車の中で、風景を見ていると芥川龍之介の『蜜柑』をよく思い出す。

『蜜柑』のあらすじをWikipedeiaから引用する。

 

”「不可解な、下等な、退屈な」人生に、

「云いようのない疲労と倦怠」を感じている「私」は、

横須賀駅で汽車が発車するのをぼんやりと待っていた。

そこへ発車寸前になって、醜い田舎者の娘が飛び込んでくる。

「私」はこの娘が不可解で下等で退屈な世の中を、

象徴しているように感じ、快く思わなかったが、

汽車の走っている途中でこの娘から見送りの子供たちに向かって、

窓から色鮮やかな蜜柑を投げるのを見て「私」は

不可解な人生に対する疲労と倦怠を僅かに忘れることができるようになる。”

 

そういう一瞬が時々ある。

しかし、『蜜柑』では結局「私」の

「不可解な神に対する疲労と倦怠」は消えることはない。

「僅かに忘れることができ」たばかりだ。

 

自分は、「私」がその一瞬に心を動かされたことに、

救われるというか何か倫理的なものを感じる。

世界には無数の一瞬の煌めきが存在する(している)ことは自明である。

それらに、心が反応するか/しないか。

 

心が動かされること。

それは、常に自発や意志ではなく受動である。

 

思うに、今回の旅はほとんど受動そのものだった。

そもそも父が提案したし、大量のユーロの存在がなかったら、

思いもつかなかっただろう。

でも、心のどこかでは、ここではないどこかに行きたいとは思っていた。

 

ここではないどこか。

Diane Arbusが”My favorite thing is to go where I’ve never been”と言っていた。

自分もArbusのように、自分が行ったことのないところへ行きたい。

そして、Arbusのようにこう言いたい。

“I want to come to your house and have you talk to me and tell me the story of your life”.

もし実現したら、それはとても素敵なことに違いない。

 

自分はカメラを窓に向け、シャッターを何度も切った。

無意識でISOや絞りを調整したと思うが、

後から見ると暗くて重いそして荒い写真ばかりだった。

 

途中、大きな橋が見えた。

たぶん、荒川を跨ぐ橋だろう。

東京に住んでいた時、群馬の祖父母の家に向かう際、

その橋を車で通ったことを思い出した。

なぜか自分はその橋を走っている間、周囲が淡く霞んでよく見えなかった。

遠くからその橋を見ている際も、その橋は淡く霞んで朧げだった。

ほとんど白に近い青と、紫とピンクの中間色の限りなく薄くて…

 

窓から、知らない街が見える。

たくさんの人が歩いていたり、買い物をしたり、何かをしている。

ここからは聞こえないが、色んな音がしているのだろう。

 

空港に到着した。

スーツケースを引きながらターミナル4に向かう。

自分は煙草が吸いたかったので、同ターミナルの喫煙所に一目散に入った。

二本ほど吸って出る。

 

フライトまで、しばらく時間があった。

雑感

Xを見ていると、吐き気がする。

ものすごく、多くの人間が、極めてどうでも良いことを、

わざわざ文字にして、発言している。

これは、端的に言って、退廃なのではないか。

どうして、わざわざ言葉にする必要があるのか。

それを文字化して、発信(つぶやきも、伝達の一種であろう)するのは、

自分からすれば徒労に過ぎないが、多くの人はそうではないようだ。

 

どうやら、多くの人はいまだに世間話の会話スタイルを踏襲しているようだ。

自転車(A bike)

近所のガキに自転車を盗まれた
その時、自分もガキだった
父は、どこかの外国に
母は、どこかの病院に
妹は、行方知れずで
 
その時、自分は、近所のガキに自転車を盗まれた
ピカピカの、真新しい、補助輪のついた自転車
腕力だけが誇りの、小さなガキによって
自分から、遠ざかる、自転車

喪失とともに、悲しみが伴っても良いはずなのだが
軽やかなユーモアが、そこにありました
記憶によって、カリカチュアされた
近所の、腕力だけが自慢の
小さなガキ

あなたは、どうしているのでしょうか
あの時からは、ずいぶん、時が経って
お互い、姿かたちも変わり
それはそれは全き他人であるので
お辞儀まではしないけれど
敬語を使わせていただきます

あなたは、大変なご苦労をされて
一人前の丈夫になったでありましょうか
何もかもが、不確かで、不安な毎日を
確かに、生きていらっしゃいますか

こちらは、元気にやっております
あなたが、自転車をわたしの手から、
ひっぱりあげたその日から
世界に、悪があることを知りましたが
あなたには、今も腕っぷしが自慢であって欲しいと
なぜか、思います
その腕っぷしを、悪の方向ではなく、善の方向へ
ご活躍させてますか?

わたしから、自転車をかっぱらったことしか
あなたを知りませんが
その一部始終の挙動から、類推するに
あなたは、厭世的なるものから、無縁でしょう
益荒男という、漢字三文字が、似合う
あなた

どうかお元気で

ヨーロッパ紀行Ⅰ(はじめに)

二月の初めから、約二週間、ロンドン、パリ、ベルリンの三都市に滞在していた。

題に「紀行」とあるが、ただの平凡な旅行である。

 

ところで、「紀行」とは一体何なのだろうか。

「紀行」を書く欲望(あるとしたら)とは一体何なのだろうか。

 

とりあえず、ざっと線を引く。

書き手が社会的知名度が高い場合、多くの場合、

ただの旅行に過ぎないが「紀行」と記されている(あるいはそれに準ずる言葉によって)場合が多い気がする。

例えば、漱石紀行文集、芥川龍之介紀行文集など…

 

また、どうやら文学のジャンルの一派系として、

「紀行」なるものが確立されているらしい。

そんなことは、どうでもよいのだが、Wikipedia

「日本の紀行作家」というページがあったので、目を通してみた。

阿川弘之北杜夫椎名誠…(この任意のピックアップに、自分の「古さ」を感じるが)

 

かつて、文学に深掘りしていた人間だが、「紀行」の類は読まなかった。

なぜなら、文学として不純だからである。

そして、およそ「紀行」に書かれている(推量に過ぎない)、

その土地の景色、人、食べ物(古い文学観の持ち主として、あまりにもくだらないと思う)を描写することは、文字という媒体上、相性が悪いと思うからである。

そんなものは、写真あるいは映像によって、一発である。

たぶん、そういうことではないのだと自分でも思うのだが、

「紀行」はおよそくだらない。

 

では、どうして自分は「紀行」を書こうとしているのだろう。

これといった理由は、特にないような気がする。

おそらく、「紀行作家」もそうなのだろう。

それが、仕事であろうがなかろうが…

 

ここは、『徒然草』の作者に倣ってこう答えようか。

”つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、

心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく

書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ”。

 

これから書こうとしているが、

まさに「あやしうこそものぐるほしけれ」になりそうである。

いや、すでにそうなっているか。

しかし、そんなことは、どうでもよいのだ。

 

 

とりあえず、出発する前の自分を簡潔に述べる。

 

自分は、母の自殺によって、大きな衝撃を受けた。

しかし、それは今となっては致命傷ではなかった。

致命傷が、癒されない傷としてなら…

 

それは傷だった。

ただの傷であった。

たとえ、それは大きく深くても、致命傷にまで至らなかった、傷。

傷が傷である限り、それは必ず傷跡になる。

完全な傷跡となるまでには、時間がかかりそうではある。

だが、それは確かに傷であった。

 

そして、生きることは無数の傷跡を身体に刻み込むことだと知った。

また、母の死と自分の生は断絶していることを知った。

当たり前のことを、今更知った。

 

しかし、絶望は深かった。

繰り返し、自殺を考えた。

しかし、家族の顔を見ると、それはいけないことだと感じる自分がいた。

それはいけない。

一体何(あるいは誰)が、自分に命じているのだろう?

もしかしたら、母かもしれない。

おそらく、解答はいくつか考えられるだろう。

しかし、解答には興味がないし、結局のところ、それは暫定的なものに過ぎない。

 

旅行から帰っても、自殺を考えていた(もちろん旅行中も)。

しかし、今現在は自殺を考えることをやめた。

自殺しないと決めたわけではない。

あくまで、「考える」のをやめた。

なぜなら、端的に言って不毛だからである。

その時間があれば、確実に自殺を実行することができる。

だが、実行していない(できていない)。

 

直観を使って述べる。

ということは、せいぜい考えているようでは、自殺などできない。

おそらく、完全な絶望によって、

思考力と生命力が屈服された時、人は自殺するのだろう。

 

しかし、完全な絶望なんて、あるのだろうか?

サルトルの『出口なし』という作品がある。

内容は知らない(陰気な内容であることは、タイトルから察せられる)。

絶望が「出口なし」の謂いであるなら、

絶望を解消できるのは現実の出口以外ないし、

出口を探究しようとする意志以外にはない。

しかし、完全な絶望なるものがあるとするなら、

それをいくら言っても、完全に絶望している人には届かないかもしれない…

 

話を戻す(旅行前の自分を述べるはずであったが、

旅行後のことまで言及してしまった=

「あやしうこそものぐるほしけれ」)。

とはいえ、絶望と自殺はこの「ヨーロッパ紀行」における

重要なキーワードかもしれないし、

すでに充分旅行前の自分を述べたような気がする。

 

最後に、ロンドン、パリ、ベルリンの三都市へ行こうとしたか、

その理由と三都市に選んだ訳をそれぞれ述べる。

まず前者は、父の勧めである。

詳しく述べると、12月の初旬、母の四十九日で、

母方の祖父母の家に向かう道中、

父が手元にユーロ紙幣が日本円にして約30万あり、

しばらくユーロ圏に行くことはないだろうから、

旅行するなら譲ると口をこぼしたのが決定的な理由である。

後者は、自分のミーハー精神が爆発したため、

ヨーロッパ主要国の首都に行くという決断をした。

 

次回からは、ちゃんと「紀行」を書くつもりではいる。

別の夢を見ること

夢から覚めて呆然とする。

どうして、夢は覚めなければならないのか。

どうして、夢を見続けてはならないのだろうか。

 

社会的理性的倫理的な何か(虚妄に過ぎない)が、命令する。

それは、凡庸な内容ばかりだ。

ただ、我々の現在性に追従する…

 

別の世界、別の生を求めること。

別の生が示された際の、この別の生と、それまでに送っている生からの隔たり。

こんなものでは、何かが違っている。

こんなものは、求めていた未来ではない。

 

増大する砂漠。

割れた鏡に映る自分。

 

 

 

はじめに(誰かの触発によって…)

先月だが、約二週間、ヨーロッパに旅行に行ってきた。

ヨーロッパといっても、ロンドン、パリ、ベルリンの主要都市であるが。

 

元々、旅行というものは、あまり好きではない。

というのも、いつも以上の体力が必要だし、時差などで生活のリズムも大きく変化してしまう。

 

また、読書が習慣となっていて、誰かの本を読むことは、ある種、旅に近い。

それを盾に、誰か(主に元恋人)に誘われても、断っていた。

金もかかる。その金があれば、たくさんの本を買える…

 

しかし、本と旅行は全く別次元のものだ。

実際に、旅をして強くそう思う。

 

とはいえ、そもそも、本と旅を等価に捉える考えは一体何だろう。

あらゆるものを等価にしてしまう貨幣的なメタファーかもしれない。

そのメタファーは、人の行動を制限して、心を貧しくしてしまうだろう。

 

東京には、たくさんの外国人観光客がいた。

彼ら彼女らは、自分にとってただの風景にしか過ぎなかった。

東京に限らず、街のコンビニや飲食店では、多くの外国人が働いている。

それも、自分にとって、ただの風景にしか過ぎなかった。

 

ただの風景としての外国人。

いや、外国人に限らず、これまで自分は人間を風景としてしか見ていなかった。

それは、人と交流する喜びや楽しさを、身体全体で楽しんだことがなかったからだ。

しかし、僕はそれを変えなければならないだろう。

内面的な本の世界から、何と豊穣で喜びに満ちた世界へ。

 

別の視点をとってみる。

端的に言って、世界は腐臭がするほど腐敗しきっている。

唯一の希望が、自殺しかないような耐え難い「リアル」。

 

昨日、もの珍しいのか、カメラに向かって笑顔になっているガザ地区の少女が、テレビのニュースに一瞬映った。

世界は、ますます最悪に近づいて、崩壊しかけてはいるが、ガザの少女の笑顔のような一瞬の

煌めきは世界に無数に満ち溢れていることを、自分の底にあるオプティミズムによって直観した。

 

”Rejoice”!

Yeatsの詩句で、大江健三郎の引用によって、頭にこびり付いている言葉。

”喜びを抱け”!

 

こんな世界で、喜びを抱くというとんでもなく途方もない暴挙。

しかし、ここでもHuckleberry Finnの、大江の引用が…

”All right, then , I'll go to hell"

”よろしい。じゃあ、僕は地獄へ行こう。”

 

喜びを抱きながら地獄へ向かう…

(I'll leave for hell with rejoice...)

 

話を元に戻す。

自分を観光客という風景として、旅行した雑感を記す。

正直、自分が見たヨーロッパは想像の範囲内だった。

それは、表面的に地図上の道を辿るようなものだった。

 

しかし、地獄へ向かう前の、下準備として。

自分の記憶は、風化しやすく脆弱なので、備忘録としても。