その人の面影

その人の顔をじっと眺める。

言葉なんて、何一つ必要ないと思う。

時々、「破顔」という言葉がとても似合う、顔をくしゃっとして、笑う。

もう、それで良いと思う。

 

あなたの人生の端緒が、あなたの一挙一動から、推量される。

グラスを口につけたり、タバコを指に挟んだり、お皿を洗ったり…

だけど、ぼうっとどうしようもない感じで、佇んでいるあなたのその姿から

何もかもが、剥き出しに、開いている。

 

暗すぎる影が、刻まれている、あなたの顔。

だけど、底抜けのオプティミズムが、あなたを支えている。

一体、あなたは何をそんなに、じっと耐え忍ぶように見つめているの?

人はどうして…

人はどうして文章を書くのだろうか。

これまで、幾世紀の学者、作家、偉人が書いたものに飽き足らずに書くのだろうか。

 

思想、感情、行動にはパターンがある。

すでに、書かれたことを、改めて書くのには何の意味があるのだろうか。

 

自分の考え、感情、行動をそこまで信用していないので、割と書くことに躊躇がある。

しかし…

 

その「しかし」が言葉を駆動する原動力になっているだろうか。

では、その「しかし」とは?

 

今という現在を生きている「何か」の発露?

あるいは…

 

既成の言葉に反発したいという気持ちだけはある。

 

 

時は過ぎ…2024

ブログをやろうと、はてなブログに登録してみたら、

以前の自分が、どうやら登録して複数、雑文を書いていたようだ。

あえて、消しはしない。(結局、消した)

 

言葉を書き連ねることに、そこまで意味がないと感じる。

自分の言葉の威力は、あまりにも乏しすぎるから。

それより、世界のあらゆる現象に、耳を澄ませよう。

何か、糸口が見つかるかもしれない。

 

自分から、無理して穴を掘るのは疲れる。

いずれ、どこからか穴が開けるのを待つ。

他力本願。